ADAPTATION DESIGN

東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

Monologue: 「現代人の甘い認識」

No.37 前回、人類の繁栄が植物の奴隷になった事で達成できた事を書きましたが、ここでは「家畜化」に焦点を当て話を展開していきます。前回の記事はこちらです。

 

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基本的に人間が植物の奴隷であるという考え方は植物視点から見た人間の立場の話であり、人間視点からでは栽培化や家畜化という言葉が使用されます。一般的に「家畜化•栽培化」とは人間が動物の生殖や生活を管理し、動物に加えられる自然淘汰を人為淘汰へと置き換えていく過程の事をいいます。家畜化にはいくつか条件があるとされ下記の通りです。

 

1.「人口環境下において人間が管理している空間の中でそのシステムに従わないと生きていけない存在であること」

2.「食糧が自動的に供給され、自力で食べ物を獲得する必要がないこと」

3.「自然の脅威から遠ざかり、天敵や干ばつ、気候の変化に気をつけなくても守られていること」

4.「人為淘汰され、家畜はあらゆる改良によって人間とって役立つように管理されていること」

5.「繁殖を人間に管理されていること。主に生殖の管理が家畜化の本質」

6.「餌を探さないことや、外敵から身を守ることがなくなるために身体が退化していること」

7.「死の死後決定権を失っていて、予期せぬ死はなく、常に死が予期されていること」

8.「生きるための活動をしないことと引き換えに自発的服従をすること」

 

私はこの条件を目にしたとき違和感を覚えました。それは家畜への認識のズレなどではなく、まさに現代に生きる私たちのことを指し示しているのではないかと感じたからです。調べてみると、この違和感は間違いなどではなく「自己家畜化」という名前で存在していた概念でした。実際に条件を現代人に当てはめていきます。

 

1、現代人は人間が整えたインフラと建築、そのシステムがなければ生きていくことは難しく、そこから逃れる術を持ち合わせていません。

 

2、都市に暮らす人間が食べ物を自分で獲得する機会はほぼなく、誰かが用意した食事や食材を購入して消費します。そこに狩りの様な危険性や作物を育てるといった労力はありません。

 

3、人間は文明の中で自然の驚異を克服してきました。それは自然災害に耐える建築や防波堤の中で暮らす私たちが普段自然の脅威に晒されることで分かります。

 

4、品種改良は人間に関係ないと思う人はいるでしょうが、そんなことはありません。現在の先進国で行われている教育や政策に伴い人間はその姿形、そして精神を変化させてきています。ある一定の優良な人間を作りだすように日々、無意識のうちにコントロールされているのです。

 

5、繁殖の人為管理こそ、家畜化の本質と書きましたが、現代の科学技術により人工授精、体外受精、人工妊娠中絶など生殖に関して人間はその倫理観を曲げながら、その技術を人間へと応用してきました。遺伝子から生まれてくる人間を選ぶ時代が来るとしたら、条件4にも大いに関係してきます。

 

6、家畜に現れる身体の変化が同様に人間にも訪れています。筋力の低下、体毛の減少、骨格の変容などネアンデルタール人と比べたときに繊細でか細い肉体になっています。現代人の肉体は日々家畜化に伴い生活に適応すべく退化していっているのです。狼が現代の犬への変化する際に見られる特徴が人間に見られるという結果があります。

 

7、人は死に対する考え方や認識を改めようとしています。オランダで安楽死が認められているように、予期せぬ死を恐れるよりも、死を自己決定することで死を克服しようとしています。

 

8、環境問題がいくら叫ばれたところで、私たちの意識や生活は変わらないでしょう。それは環境問題をメディアというフィルターが見せている虚像だと捉えているだけでなく、単に今の生活水準や快適さを失いたくないからです。システムに従うことで自分たちの自発的行動を抑制しているのです。

 

自己家畜化論は様々な角度から論じられており、上記の内容はそれらを複合したものです。

 

これらの条件は私たち現代人が自らを家畜化していることを証明しているように思います。そしてこの「自己家畜化」の傾向は文明の発展に従い加速度的に強化されていくでしょう。私は自己家畜化が今を生きる現代人の幸せの基盤にあり、生きるためには必要なことであることを理解していますが、それによって引き起こされる、人口増加に伴う人為淘汰の過剰化や自然破壊の加速化、教育やマスコミによる人間の画一化など、自己家畜化の進行が導く未来は明るくないと考えています。家畜として生きる喜びに浸ってしまった現代人がこの家畜社会から抜け出す事は容易な事ではなく、人類全体が脅かされる様な危機に陥った時初めて人々はその重大さに気がつくのでしょう。しかし、裏を返せばこの事は人間を人間たらしめる条件なのであり、自然と決別した人間が手にしたかった「不自然さ(人間らしさ)」なのかもしれません。

 

では、自己家畜化を受けて私自身がこれからどうしていくのか、そこに対してADAPTATION DESIGNはどんな解答をしていこうとしているのかはこの次のMonologueで書いていこうと思います。

 

 

他のモノローグはこちらです。

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Creation 003

 No.35また新たな素材実験をしてみました。

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今回は過去最大の大きさです。大きなものでも制作できるのか確かめたくて400*400*400のオブジェにしてみました。大きなものになるほど制作難易度があがるので少し型の方に工夫がいるというのが分かりました。また、今回の茶色の部分は鉄粉を入れたことにより錆ているテクスチャーになります。

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ADAPTATION DESIGNとして最初の作品をこの石膏を使ったものにしようと考えています。これからのCreationの記事は少し、アート表現寄りになると思いますが、鉢植えなど実際に使用できるものにも展開していきたいと考えているので、作り次第随時報告していきたいと思います。

 

過去のCreationはこちらです。

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Cultivation :「Potato 002」

No.33 新たな種芋を購入してきました。食用に販売されてるじゃがいもは植物性ウイルスにかかっているので、食用のものと、栽培用のものの2つを比べながら成長を記録していきます。

 

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前回の記事はこちらです。

 

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今回、購入したじゃがいもはその形状からして「May Queen」だと思われます。種芋自体は一つ50円くらいでホームセンターなどで販売されています。

 

May Queen(メー・クイーン)の出生には諸説あり、19世紀末にイギリスのGloucestershire(グロスタシャー)でWalkerという農夫によって栽培されており、Walker’s Seedlingと呼ばれていた説や、イギリスのBentham(ベンサム)でF.Sadlerという農夫が栽培していたものを、1900年にサットン商会(Messrs Sutton and Sons)が世間に紹介したという説があります。現在イギリスではそれほど栽培されておらず、主に日本で栽培が盛んに行われています。日本には1908年頃に北海道にある北海道庁立釧路農事試作場に、当時ここの幹部をしていた川田隆吉が輸入し栽培を始めたとされています。日本国内では男爵薯に次ぐ生産量を誇ります。名前の由来はヨーロッパ各地で行われるキリスト生誕前からの土着信仰である五月一日の「豊穣祭」で「豊穣の妖精(少女)」を毎年選んで「メイクイーン」(MAY QUEEN)『五月の女王』と名づける風習から来ています。

 

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こちらは購入した時点で芽が出始めていました。もう少し成長したら土に植える準備をしたいと思います。じゃがいもの植え付け時期は春と秋の2回あり、秋の8〜9月に植えると収穫は11〜12月になります。室内栽培の為の準備をそろそろ本格的に始めていきたいと思います。

Creation 002

No.32素材実験が少し進みました。前回の実験はこちらです。

 

型を少し複雑にしてみました。形としては大きさの違う3つの正方形を縦に配置し、それらを結んだものを正面と立面から斜めに切り回転して付け直したものです。まだ形状になんの意味もないので気にしないでください。今回の実験のメインは石膏に銅の緑青を入れ込むことです。まだ型から離型したばかりなので色は薄いですが、時間が経って色に深みが増すのを待ちたいと思います。まだ色味や中の厚みのコントロールが難しく場所によってはすごく脆くなってしまうので、その辺も調整できるようにこれからも進めていきたいです。

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こちらはそれぞれ4面の写真です。回転することで表情を変えます。

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最後にまたドライフラワーを飾ってみました。ダリアとひまわりのドライフラワーは難しく、花弁の収縮率が他の花に比べて大きかったのですが、それは花の水分量に比例するのでしょう。奥の丸いお花はアリウムと呼ばれるもので、ドライフラワーにオススメです。

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The Giving Tree:「飯泉の大杉」

No.31 先日、仕事の関係で酒々井プレミアムアウトレットに行く用事があり、向かっている途中のGoogleマップ上に気になる文字を発見しました。

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そう皆さまお気づきの通り、「飯泉の大杉」です。なぜこんなに存在感があるのか定かではありませんが、ポツンとあるその五文字に心奪われた私は、仕事の帰りがてらそこに立ち寄ってみることにしました。農家と農家の間の細道の急な坂を下り、少し登ったところにその大杉は姿を現しました。

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和名「杉」は学名をCryptomeria japonicaといい、ヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹です。「Cryptomeria(クリプトメリア)」はギリシャ語の「cryptos(隠れた)+ meris(部分)」に由来していて、杉の木は日本固有の木なので種小名japonicaと日本を示す単語がついていて、直訳で「日本の隠れた財宝」と言われています。葉の先は針状に尖り、枝全体としては一面に上向きの針を並べたようになります。樹皮は褐色で成長した幹の樹皮は縦に裂けています。普通樹木は細長く直立に成長しますが、屋久杉で知られるように成育条件によりある程度の高さが出ると幹を太くすることがあります。

 

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「飯泉の大杉」は伊豆神社の境内にありまして、目通り径4.3m、地元の伝承では樹齢700年(推定樹齢450年)の巨木です。日本にある杉の巨木の中ではそこまで大きなものではないにしても、実際に間近で見上げるとその迫力は確かなものでした。今から450年前頃といえば織田信長が上洛し今川家が滅亡した信長全盛期の時代で、その時代の酒々井こと、千葉はもとい関東全域はこちらも全盛期の北条氏が統治していました。そんな時代から存在していると思うとその生命力には頭が上がりません。

 

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伊豆神社との全体像はこちらです。伊豆神社を守る御神木感満載の位置に大杉は構えています。この神社は火の神、鍛冶の神様である伊豆神社を祀っています。もともと飯積区には鍛冶作の地名が残っていますので、かつて鍛冶工房があった場所なのかも知れません。また一緒に祀られている子安神社は安産・子育ての神様として有名です。

 

何気なく立ち寄った「飯泉の大杉」でしたが、いくつも時代を超えてきた杉を眺めていると日頃の小さな事など取るに足らないくだらないことだと教えられたような気がして、とてもリフレッシュになりました。なかなかいい体験だったので、他の日本に存在する巨木にたまに立ち寄って記録していきたいと思います。

 

タイトルである「The Giving Tree」はShell Silversteinの名作絵本からとりました。私が一番好きな絵本で、物語の内容は涙なしには語ることはできません。その内容はこちらの記事をご覧ください。

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Column: ART's plants「Claude Monet」

No.30 アートにみる植物です。今回はセザンヌやルノワールに肩を並べる印象派の巨匠である「Claude Monet(クロード・モネ)」です。その中でも晩年に200点以上も残した「睡蓮」をモチーフとした作品について睡蓮と仏教を関連付けて言及していきます。

 

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植物の和名「睡蓮」は学名「Nymphaea」の英名「Water lily」のスイレン科スイレン属に属する水生の多年草です。和名の睡蓮は3日だけ咲く花が日中の間に開き、午後になると閉じる様子から「睡眠する蓮」に由来しています。また、学名のNymphaeaはギリシャ神話の神Nymphe(ニンフ)から来ています。ニンフは他の女神とは違い、自然を生み出す神の霊とみなされ、通常は踊りと歌を愛する若い裸の乙女として描かれています。基本的に熱帯地域から亜熱帯地域に自生する水位が安定している池などに生息しており、地下茎から長い茎を伸ばし、水面に葉や花を浮かべる浮葉植物となります。葉は円形でその一部に切り込みが入っており、葉の表側に気孔があり蓮とは違い防水加工はされておらず、普通は緑色で濃赤紫の斑点が入ったり、濃赤紫色の葉だったりと様々な種類があります。また睡蓮は大きく分けると温帯性睡蓮と熱帯性睡蓮の2種類あり、それぞれ大きく特徴が異なります。「温帯性睡蓮」は寒さに強く、丈夫で育てやすいため、水面が凍る程度の寒さであれば、越冬も可能です。日本で見かけることができる睡蓮のほとんどが温帯性で、4月から10月と開花時期が長く、主に赤、黄、ピンク、白など薄く淡い色の花を咲かせる品種が多いのが特徴です。逆に、「熱帯性睡蓮」は寒さに弱く、水温25度以上でないと生息することができません。また、水温が15度を下回ると花をつけなくなり、室内でないと越冬することができません。主に熱帯アフリカや南米、熱帯アジアで生息されており、7月から10月と開花時期は短く、主に白、赤、ピンク、青、紫といった色彩が鮮やかなものが多いのが特徴になります。

 

 

モネが睡蓮の絵を描き始めたのは1890年にパリ郊外のセーヌ川支流に位置するジヴェルニー村に土地を購入し「花の庭」を作り、1893年にその隣の敷地を購入して「水の庭」と呼ばれる日本風の睡蓮が咲く池を作った50歳頃からだといわれています。そんなモネの池の睡蓮はフランス北部にあったことや、モネの絵の花の色から推測すると「温帯性睡蓮」であったことが分かります。モネは印象派が理想とした外で絵を描き続けることを実践し続けた画家で、変化し続ける光とその雰囲気を描こうとしていました。あざやかな色彩を用い、筆の断続的なタッチにより画面全体の視覚的効果を狙っていて、それはモネの描く睡蓮が近くで見ると睡蓮そのものが写実的に描かれておらず、絵画から離れ全体を眺めた時に初めて睡蓮とわかる事から伝わります。彼の絵には朝から夕方まで刻々と変化し続ける庭の光の様子や池の水面を睡蓮が漂う様子を単に記録するだけではなく、彼の記憶と感情も深く投影してあり、睡蓮の花に見る生と死をも捉えていたのだと思います。ではモネはなぜ元々ヨーロッパに存在しなかった睡蓮をモチーフに取り憑かれたように描き続けたのでしょうか。それにはモネの生きた時代と影響を受けた日本文化に関係があるのではないかと私は考えています。

 

モネが「睡蓮」を大装飾画として描き始めた頃は第一次世界大戦の真っ只中で、モネは避難していましたがフランスでは350人以上のアーティストが殺され、140万人以上戦死者に400万人に及ぶ負傷者を出しました。同時期にモネは白内障に悩まされており、その失われゆく色彩と戦争で受けた心の傷を晩年作品に投影しており、精力的に制作し続けることで戦争に対する抗議をしていたのではないかと言われています。1918年の休戦協定後にフランスに19枚の絵を寄贈するのですが、それらは戦争で傷ついた民衆の心を癒しました。またモネはジャポニズムの影響を多大に受けた作家でもあり、睡蓮に対し仏教の教えをみたのではないかとも言われています。インドヒンドゥー教では蓮が水中の泥にまみれることなく美しい花を咲かせる様子から、水中を汚れた現世、花を浄土として例え、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴として扱われています。一方、古代エジプトでは自生していた青い睡蓮が夕刻になると花を閉じて水底に沈み、翌朝になると水面に浮かんで花を開く様子から「復活・再生」の象徴として捉えられ、墓や神殿にその模様を描いていました。これらの宗教の考え方はアーリア人がエジプトを征服したのちにインドへ向かった際に統合されたと推測されています。その後仏教としてこれらの教えが日本へ伝わることになります。日本においても蓮は重要な役割があり、それは「蓮華」として存在し、お釈迦様は蓮華の上で悟りを開いたとされ、お経の「南無妙法蓮華経」は教えを信じ自分が大宇宙の中の一点であることを宣言し、宇宙の流れや力を自分の肉体に呼び戻す回帰や覚醒の修行として使われることがあり、どこにでも希望を見出せるようなそんな心を想起させます。実際、モネの友人であるGustave Geffroy(ギュスターヴ・ジェフロワ)はモネの伝記に「He discovered and demonstrated that everything is everywhere, and that after having wandered the world worshiping the light that enlightened him, he knew that this light was reflected with all its splendor and mysteries in the magic hollow surrounded by foliage of Saides and bamboos, flowers of irises and rosebushes, through the mirror of the water from which spring the strange flowers which seem more silent and more hermetic than all the other flowers.」と書いており、モネがインド仏教から伝わる「無常観」に関心を抱いていたことの一つの証明になり、自然の微妙な変化と現実の普遍性に対し向き合うモネの姿勢は仏教思想と一致するものがあります。ここでいう無常観とは現世の「苦」からの脱却を図るために「事実」と「思い」との間に食い違いを起こさないことを説いており、「刻一刻と年を重ね、やがて死ぬ」という「事実」に対し向き合うことで人々を「苦」から解放するというものです。オランジュリー美術館にモネが「睡蓮」を寄贈した際に「この部屋は、ここで過ごすものにとって、花咲く水槽の真ん中で、安らかな瞑想を行うための隠れ家になるであろう。」と書き記していることから分かるように、晩年の「睡蓮」に描かれたぼんやりと水面に浮かぶ睡蓮の花には、戦争で傷ついた自分自身の心と人々の心を映し出す鏡の役割があり、花の「生と死」に無常観を投影することで人々を心の浄化へと導こうとしたのではないでしょうか。きっとモネは戦争から立ち直ろうとする人々と泥の中でも美しく咲く睡蓮の花を重ね合わせ平和を祈ったのでしょう。

 

 

 

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