ADAPTATION DESIGN

東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

Monologue:「優秀なドレイ」

No.29 星新一の「きまぐれロボット」の中の「ネコ」というショートショートは読んだことあるでしょうか。内容としては宇宙人が様々な星を平和かどうかを調査していて、地球を調べる際にネコを対象としてインタビューをするという話です。その中のネコと宇宙人の会話の一幕がとても面白いのです。

 

【ネコは人間のことを「あたしたちのドレイの役をする生物よ。真面目によく働いてくれるわ」と始め、「たとえばこの家よ。人間が作ってくれたわ。それから牛という動物をかい、ミルクをしぼって、あたしたちに毎日、はこんでくれるわ」と続けます。宇宙人が「なかなか利口な生物ではありませんか。しかし、そのうちドレイの地位に不満を感じて、反逆しはじめるかもしれないでしょう。大丈夫なのですか」と聞くと、「そんなこと、心配したこともないわ。そこまでの知恵はない生物よ」と答えます。】

 

すごくアイロニカルな表現で人に気づきを与える素晴らしい話だと私は思います。人間というのはかなり偏見や驕りに溢れた生き物で、自分以外の種よりも優位であると切に信じています。そんな人間の驕りを逆手に取ったこの話は、よくよく考えるとつじつまの合う奇妙な体験をすることになります。

 

現在、世界で最も多く栽培されている植物を知っているでしょうか。それは小麦と米とトウモロコシで、それらは年間に小麦(約7.3億t)、トウモロコシ(約10.4億t)、米(約7.4億t)も生産されています。年間生産量は人口増加に伴い農地を拡大しながら年々増加し続けており、現代の私たちが摂取するカロリーの約60%を賄う生活になくてはならない食糧の基盤となっています。人間がなぜここまでの労力を費やし小麦や米、トウモロコシ等の植物を栽培するようになったかを知るにはホモ・サピエンスの時代まで遡らなければなりません。

 

もともと人間は狩猟採集民として果実摘み、狩りをする雑食動物となにも変わらない生活を送っていました。しかし、農業革命により人間は狩猟採集民からの脱却を図り、その人口を急激に増加させ始めました。それは何万年も維持していた狩猟採集民から人間が一気に進化するスタートの合図でもあり、人間が特別であると錯覚し始めた悪夢の訪れでもあります。さて農耕により、ある一定の食糧を手に入れることが可能になりましたが、それと引き換えにかなり偏った食事をするようになったことで、狩猟採集民の時に得られていた多様な栄養が摂れなくなりました。また、一匹のマンモスで十分食糧が足りていた少人数時代に比べ、集落の増えた人々に行き渡る個々の食事量は減少してしまいました。それどころか狩りや移動で培われた身体能力は徐々に失われ、農耕の為に狩り以外の時間のすべてを労働に当てなければならなくなりました。人間はどの時代も「働いたことで増えた食糧により人口が増え、人口増加により食糧を増やす為に働く」といった原始的なサイクルに囚われていると思うと愚かな種であると考えさせられます。また、定住することでより強く芽生えた縄張り意識や自己顕示欲により、それまで殺しあうことのなかった他のホモ・サピエンス同士が蓄えた食糧や土地を巡り争うようになってしまいました。そう考えると現在の戦争の動機が本質的に何も変わっていないのにも呆れます。

 

一方、植物の目線からこの農業革命を見てみると、星新一の「ネコ」の言っていることはあながち間違いではないのです。ここでもう一度あの会話を振り返ってみたいと思います。

 

【ネコは人間のことを「あたしたちのドレイの役をする生物よ。真面目によく働いてくれるわ」と始め、「たとえばこの家よ。人間が作ってくれたわ。それから牛という動物をかい、ミルクをしぼって、あたしたちに毎日、はこんでくれるわ」と続けます。宇宙人が「なかなか利口な生物ではありませんか。しかし、そのうちドレイの地位に不満を感じて、反逆しはじめるかもしれないでしょう。大丈夫なのですか」と聞くと、「そんなこと、心配したこともないわ。そこまでの知恵はない生物よ」と答えます。】

 

人々は何の変哲もなく自然に生えていた植物達を世界中のそのままでは存在しえなかった土地へと案内し、家として暮らしやすい広大な大地を与え、植物達を脅かす外敵から保護すると同時に十分すぎる食事を提供する「優秀なドレイ」として必死に働いてきました。そして植物に完全に依存している人間は、反逆という言葉を知らない従順な知恵のない生物といえます。種族として優秀だと錯覚している人間は実は植物の手の上で踊り操られてきた存在なのです。そんな人間は他の種も家畜化し手懐けていると思っていますが、人為淘汰されてきた豚や牛、鶏のバイオマスは年々増えており、種としての繁栄を手助けしていることを理解しないといけません。

 

さて、これらの話を聞くと遠い昔の話ですし、現代において生産者でない消費者側の私たちはドレイではないと錯覚することでしょう。しかし、その立場こそが一番危険であることに気が付かなければなりません。ADAPTATION DESIGNとして本当に考えていきたい話はこの次のMonologueで書いていきたいと思います。

 

 

 

 

他のMonologueはこちらです。

adaptation-design.hatenablog.com
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「Platycerium Netherlands」

No.28 こちらも日本でもかなり流通している種類のビカクシダです。

 

「Platycerium Netherlands」プラティセリィアム ネザーランドです。またの名をビカクシダ ネザーランドとも言います。和名だと「麋角羊歯(ビカクシダ)」と書きます。

 

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Column:「今年の夏を終えてみて」

No.27 今週のお題で、世間でも話題になっている「平成最後の夏」について触れていきたいと思います。少し毒舌風な文章になってます。今週のお題「#平成最後の夏」

 

「平成」は2019年4月30日に約200年ぶりの生前退位をもって終わりで、それに伴い平成生まれの私は26年目にして新たな元号を初めて迎える事になります。別にそこに対して特に感想もなにもないのですが、西暦の方が便利だから元号はいらないという考えにはなぜか不満があり、別に使用されなくてもいいから元号という文化は続いて欲しいと密かに思っています。なぜなら元号というのはもともと天皇の即位から逝去するまでの期間を表すものではなく、その年の厄払いや次の年の験担ぎのような役割を果たすもので、天災や厄災のお祓いやお浄めをする意味を込めて元号は変えられていたからです。今のように一世一元の制が定められたのは明治天皇の時代からと言われています。とするなら、そもそも元号というものはその時代を象徴するもので、そこに機能や利便性求めている現代の日本人はお門違いなのです。そんな時代の願いが込められた私が唯一体験している元号である「平成」の名前の由来はというと、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」や『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味があります。調べるまでこんな素敵な意味があるとは微塵も知りませんでした。しかし、あくまでも願い事なので平成がこの願いを体現できていたのかはまた別の話です。

 

さて話がそれてしまいましたが、インスタやニュースでもよく見かける「平成最後の夏」という単語はこの場合「平成」という単語の意味は実際どうでもよく、ノスタルジーに浸りたい人々が最後という単語に過剰に反応しているだけの現代人特有の流行り病の一種なのです。この「最後」という単語は非常にタチが悪く、前後に入る単語はなんでもよくて「高校最後」、「20代最後」など数をあげればキリがなく出てくる上に、一瞬で人々をなにか感慨深い世界に誘う効果があります。またその効力が短いというのも人々が何度も「最後」に対してノスタルジーに浸る原因の一つと言えるでしょう。そんなこんなで私はこの「平成最後の夏」という言い回しがものすごく嫌いなのです。まだまだ「平成最後の冬」「平成最後のお正月」「平成最後の日」などメディアが好きそうなアホっぽい謳い文句はたくさん作れる上に、新しい元号「〇〇」が生まれた瞬間に「〇〇最初の夏」に飛びつく消費者が目に浮かび、必死に思い出作りに勤しむ姿の醜さだけが残ります。意味のない消費ほど無駄なことはないと思っています。ただ、勘違いして欲しくないのですが、この言い回しが嫌いなだけであって別に「夏」自体は季節の中でも一番好きな季節で、なんなら一年を通して夏でもいいと思っているほどに私は生粋の夏っ子なのです。ここで私が言いたいのは何でも特別にしたがらないで純粋に楽しめということです。

 

さて、今年の夏の思い出といえば、本格的に始めた植物の育成、水草とバクテリアが落ち着いてきた3つの水槽、そして3日坊主の私がまだ続けているこの植物ブログ、となかなかボタニカルでインドアな夏でした。特にタイから輸入したビカクシダ リドレイに新芽が展開されたことや、パキポディウム サキュレンタムが目に見えて大きく育っていることが一番印象に残っています。また、ブログは私の性に合ってるらしく、普段溜まっているいろいろな話を言語化できるこの場所は、始めるのが遅すぎたと感じるくらい楽しいです。これからも自由気ままに記事を書いていきたいと思いますし、巡り巡って面白い出会いに繋がることを願っています。総評すると、新しいことや興味のあるものに出会うことのできたかなり有意義な夏で、人生を振り返っても少し異色な夏だったと感じます。しかしここでの異色さは決して「平成最後の夏」だからというわけではなく、その辺に蔓延る必死に思い出を残そうしている人たちと一緒にして欲しくはないのです。私の夏が「最後」の持つ魔力に行使されノスタルジ-の衣を羽織らないようにするには心をいつも平穏に保ち、日々成長し続けていく「平成」さが必要なのです。来年の夏には新たな元号になり、あらゆるところで西暦が使われ始め元号の存在が希薄になってしまうかもしれませんが、常にこの「平成」を心に刻み、平成に生まれた者として「平成」を願い体現できたらと思います。

 

 

 

Cultivation :「Potato 001」

No.26 観葉植物とはまた別に、野菜の室内栽培をしてみたいと思います。今回選んだ野菜は「じゃがいも」です。

 

adaptation-design.hatenablog.com

 

映画オデッセイのマーク・ワトニーに憧れたことと、人生の一つの目標に社会から離れて自給自足を成し遂げることを掲げている私にとって野菜を栽培するスキルは欠かせない存在といえます。それに実際芽の出て食べられなくなったじゃがいもを見ることがあってもそれが育って花を咲かせている姿を見たことは見たことはありませんでした。なので比較的栽培が簡単だと言われているじゃがいもを育てて花や葉を観察しようと思いました。思い付いたらすぐ行動に移さないと蕁麻疹がでる体質の私は夜中のコンビニに向かいじゃがいもを4つ購入しました。

 

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パッケージにはじゃがいもの表記しかなかったのですが、見た感じで男爵薯であると推測します。男爵薯は高知県出身の川田龍吉男爵が1908年に北海道上磯町(現・北斗市)で海外から取り寄せたアメリカ原産の「Irish Cobbler(アイリッシュ・コブラー)」という品種を試験栽培し、これを普及させたもので、当時正式な品種名が分からなかったため、男爵が広めた馬鈴薯という意味で男爵薯と呼ばれるようになりました。この品種は早生種で環境に対する適応性も高い上に収量も多く、収穫後の貯蔵性も高いため、現在では国内のじゃがいも栽培面積の20%以上を占めています。

 

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じゃがいもの栽培方法は様々な種類がありますが、今回は観察メインで進めたいので「芽出し」から始めていきます。一般的にはじゃがいもをぶつ切りにして植え、芽が出てくるのを待つという方法が知られていますが、この場合時間差が生じたり発芽しないことがあるため、今回はある程度の日光の当たる空間で発芽を待ってから植えるというものを採用します。次は発芽の様子を報告したいと思います。

 

じゃがいもの栽培方法を調べている中で少し気になるものを発見しました。一般的に食用として売られているじゃがいもは植物性のウイルスを保持しているものが多く栽培しても病気にかかるというものでした。人間がそのウイルスを摂取してもなにも問題はないそうなのですが、いきなり失敗するのも嫌なのでウイルスにかかっていない種イモも購入して並列で育てていきたいと思います。植物のかかる病気にも興味があるため、比較し観察していきます。完全室内栽培を目標にしているので、鉢植えかつ照明を備えた小型温室のデザインをじゃがいもの発芽を待ちながら考えたいと思います。

 

 

 

 

Creation 001

No.24 新素材の研究とお試し鉢植え制作日記です。

 

Columu「Farmers Marketsは夢の中の夢?」 - ADAPTATION DESIGN

 

前にFarmers marketsにに行った際に鉢植えのデザインを考えようという話をしていましたが、その試作品を素材実験と共に行いました。

 

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樹脂と石膏のレイアーを薄く交互に鋳造することでなるべく薄く、丈夫なものを制作しようと試みています。今回である程度の強度と作る際の工程が見えた為、本格的に造形のデザインに入れたらと思います。鉢植えだけでなく、照明や花瓶などにも展開できそうなので、余裕があればやってみたいと思います。

 

2枚目の写真は2ヶ月前から乾燥させていたドライフラワーです。他にもやっているのですが、ユーカリと紫陽花と薔薇を今回は使用してみました。しっかりと湿度管理をしたため、色味は残すことができたのと、先っぽまで腐ることなく乾燥させることができました。またそちらも記事にできたらと思います。

 

 

「Platycerium grande」

No.23 幅の広い胞子葉を展開することが特徴的なビカクシダです。

 

「Platycerium grande」プラティセリィアム グランデです。またの名をビカクシダ グランデとも言います。和名だと「麋角羊歯(ビカクシダ)」と書きます。

 

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