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東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

Column:「今年の夏を終えてみて」

No.27 今週のお題で、世間でも話題になっている「平成最後の夏」について触れていきたいと思います。少し毒舌風な文章になってます。今週のお題「#平成最後の夏」

 

「平成」は2019年4月30日に約200年ぶりの生前退位をもって終わりで、それに伴い平成生まれの私は26年目にして新たな元号を初めて迎える事になります。別にそこに対して特に感想もなにもないのですが、西暦の方が便利だから元号はいらないという考えにはなぜか不満があり、別に使用されなくてもいいから元号という文化は続いて欲しいと密かに思っています。なぜなら元号というのはもともと天皇の即位から逝去するまでの期間を表すものではなく、その年の厄払いや次の年の験担ぎのような役割を果たすもので、天災や厄災のお祓いやお浄めをする意味を込めて元号は変えられていたからです。今のように一世一元の制が定められたのは明治天皇の時代からと言われています。とするなら、そもそも元号というものはその時代を象徴するもので、そこに機能や利便性求めている現代の日本人はお門違いなのです。そんな時代の願いが込められた私が唯一体験している元号である「平成」の名前の由来はというと、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」や『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味があります。調べるまでこんな素敵な意味があるとは微塵も知りませんでした。しかし、あくまでも願い事なので平成がこの願いを体現できていたのかはまた別の話です。

 

さて話がそれてしまいましたが、インスタやニュースでもよく見かける「平成最後の夏」という単語はこの場合「平成」という単語の意味は実際どうでもよく、ノスタルジーに浸りたい人々が最後という単語に過剰に反応しているだけの現代人特有の流行り病の一種なのです。この「最後」という単語は非常にタチが悪く、前後に入る単語はなんでもよくて「高校最後」、「20代最後」など数をあげればキリがなく出てくる上に、一瞬で人々をなにか感慨深い世界に誘う効果があります。またその効力が短いというのも人々が何度も「最後」に対してノスタルジーに浸る原因の一つと言えるでしょう。そんなこんなで私はこの「平成最後の夏」という言い回しがものすごく嫌いなのです。まだまだ「平成最後の冬」「平成最後のお正月」「平成最後の日」などメディアが好きそうなアホっぽい謳い文句はたくさん作れる上に、新しい元号「〇〇」が生まれた瞬間に「〇〇最初の夏」に飛びつく消費者が目に浮かび、必死に思い出作りに勤しむ姿の醜さだけが残ります。意味のない消費ほど無駄なことはないと思っています。ただ、勘違いして欲しくないのですが、この言い回しが嫌いなだけであって別に「夏」自体は季節の中でも一番好きな季節で、なんなら一年を通して夏でもいいと思っているほどに私は生粋の夏っ子なのです。ここで私が言いたいのは何でも特別にしたがらないで純粋に楽しめということです。

 

さて、今年の夏の思い出といえば、本格的に始めた植物の育成、水草とバクテリアが落ち着いてきた3つの水槽、そして3日坊主の私がまだ続けているこの植物ブログ、となかなかボタニカルでインドアな夏でした。特にタイから輸入したビカクシダ リドレイに新芽が展開されたことや、パキポディウム サキュレンタムが目に見えて大きく育っていることが一番印象に残っています。また、ブログは私の性に合ってるらしく、普段溜まっているいろいろな話を言語化できるこの場所は、始めるのが遅すぎたと感じるくらい楽しいです。これからも自由気ままに記事を書いていきたいと思いますし、巡り巡って面白い出会いに繋がることを願っています。総評すると、新しいことや興味のあるものに出会うことのできたかなり有意義な夏で、人生を振り返っても少し異色な夏だったと感じます。しかしここでの異色さは決して「平成最後の夏」だからというわけではなく、その辺に蔓延る必死に思い出を残そうしている人たちと一緒にして欲しくはないのです。私の夏が「最後」の持つ魔力に行使されノスタルジ-の衣を羽織らないようにするには心をいつも平穏に保ち、日々成長し続けていく「平成」さが必要なのです。来年の夏には新たな元号になり、あらゆるところで西暦が使われ始め元号の存在が希薄になってしまうかもしれませんが、常にこの「平成」を心に刻み、平成に生まれた者として「平成」を願い体現できたらと思います。