ADAPTATION DESIGN

東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

Column 「Ready Player Oneは理想の世界?」

暇があれば本を読むか映画を見るかしようと心がけています。まだぼーっとしている時間や生産性のない時間も多く、限られた学生生活を無駄にしないように活動していきたい訳ですが、たまには脳内ドーパミンがドバドバに溢れるようなものも見たくなり、何も考えずに見られる映画を時々見ます。その中の1つにスティーブン・スピルバーグの「Ready Player One」があります。監督のオタク力の塊のような作品でサブカル賛美を促すバイブルのようなものです。ライド感に極振りした内容は、ストーリーテリングの弱さや登場人物の描写の拙さなんて吹き飛ばしてしまいます。

 

2045年が舞台で、廃れた世界の希望となったのがオアシスと呼ばれるVR世界で、そこは自分のなりたい容姿、乗り物、体験、欲しいものが全てある夢のような空間で人類は現実逃避の手段としてどハマりしています。ゲームの進化を目の前で見てきた世代からすれば、ゲームや漫画、アニメ、映画のキャラクターや世界観に没入できるなんて最高としか表現できません。人類が一度は妄想したであろう自分がそこにいたら…身体性の超えられない壁も技術が進歩したら…スピルバーグは映画を通じて私達にその世界を一足早く追体験させてくれました。ありがとうスピルバーグ!

 

さて、簡単な感想をネタバレをあんましないであっさりしていこうかなぁと思います。まず思ったのは日本人としてこの映画を見れて良かったですね。日本が世界に誇る文化にアニメやゲーム、漫画があり、世界に多大なる影響を与えていることは語るまでもありません。映画の冒頭部分だけ覗いてもAKIRA、キティちゃん、マッハGoGoGo、カウボーイビバップ、インベーダーゲーム、ソニック、ギャラガ、終盤にはガンダムにストリートファイター、メカゴジラと世代ではないものが多いものの日本人でアニメやゲーム、映画が好きな人なら一度は見たことあるものばかりでしょう!それが実際に動いて活躍している姿は涙ちょちょぎれもので、世界中の人がこの映画を見て湧いてる所を想像すると胸が熱くなります。もちろん、往年の80sの映画や音楽のオマージュの数々の全てに反応できた訳ではないですが知っているものは楽しく見ることができますし、むしろReady Player Oneキッカケに見たものも多く、むしろこの映画は新たな文化を描くというよりも、過去の文化的価値の高いものと今を繋げるワームトンネルの様な役割があると感じました。スピルバーグの戻る事のできない楽しかった時代を思うノスタルジックな思いと今までの実績と信頼によって生まれた唯一無二の表現と言えるでしょう。

 

ここで考えなければならないのがVRについでです。バーチャル・リアリティは、3次元の空間性、実時間の相互作用性、自己投射性の三要素を伴うと言われており、五感に作用するインターフェースを使用します。Ready Player Oneの世界では嗅覚以外のインターフェースを使用しているように見えました。私はこの手の技術方面に詳しくないのでよく分かりませんが、2045年であっても味覚や嗅覚のインターフェースは実装まで至らないという事を示しているんでしょうか?詳しい方、ぜひ教えて下さい。では、視覚/触覚/聴覚によって作り出された仮想現実の世界は人類にとって理想の世界なのでしょうか?この映画ではリアルでしか手に入れないものがあるという割とありがちな答えにたどり着きました。ここで1つ疑問となるのが人間の欲求の限界についてです。人間の欲求は果てしなくそれを抑制する事に美学の様なものがありますが、限界を超えて自分の欲しいままの世界を仮想現実上で手に入れることが出来たとしたら何をして、何を手に入れようとするのでしょうか?私の個人的な意見はあまりポジティブなものではありません。それは使い方によると思いますが…。

マズローが提唱した純粋階段をご存知でしょうか?

 

・自己超越の欲求 (Self-transcendence)

・自己実現の欲求 (Self-actualization)

・承認(尊重)の欲求 (Esteem)

・社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)

・安全の欲求 (Safety needs)

・生理的欲求 (Physiological needs)

 

上に行けば行くほど高次な欲求であるというもので、下から4つは欠乏欲求、上の2つを成長欲求といいます。食べ物や寝るところが無いのに他人に対して尊重されようと思わないように、人間の欲求には段階があるということを指し示した理論です。現在SNSによる発達により社会的承認(Twitterやmixiの様な不特定多数の匿名性の強いツール)から自己承認欲求(バカッターやインスタ映え)のような欠乏欲求に当てはまる行動に満たされている現代人が仮想現実において何ができるのかは甚だ疑問が残ります。想像力が欠如している現代人にとって仮想現実でなしえる自己実現の欲求の程度はしれており、結局他人の作ったプラットフォームに従う事しか出来ないiPhoneを持て余す現代人の様な人間で溢れかえると思います。Ready Player Oneの世界では現実世界の貨幣価値がリンクしていて課金をする事でアバターのできることが増えていくようなもので、夢の世界というよりも現実逃避の手段としか使用されておらず現実において満たされているシーンは描かれていませんでした。むしろオアシスを作ったハリデーも作中で全速力で逆走し、過去に戻りたいと言っていました。きっとハリデーの欲求はオアシスが実現してしまった事で終わってしまったんでしょう。誰かが用意したプラットフォームで満足するような人間にはなりたく無いものです。

 

デザインやアートを志すものとしてやはり仮想現実や現実社会の欲求にはついては常に考えなければならないコンテンツの1つです。想像を促すツールがいくら増えたところで人間が進化しない事には何も始まりません。次のクリエイティビティがどのフィールドで起こるかは分かりませんが、面白いことがしていたいと願います。あれ?何も考えないで見ているつもりが結局頭使ってますね。