ADAPTATION DESIGN

東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

Monologue:「植物に憧れて」

No.8 普段考えてることの独り言です。時々、呟いていきたいと思います。

 

私は現状、アンティーク家具やビンテージ家具の修繕、内装の施工、大学で後輩の面倒を見たりと、大学を卒業してからろくに就職もせず人生設計もないままフラフラとその時縁がある仕事をやっている流浪人ことただのフリーターなのですが、本分は大学で勉強していたスペキュラティブデザインやクリティカルデザイン領域の次のデザイン論の確立を目指すこととしてますが、それはなかなか難しく足踏みを余儀なくされているのが現状です。そもそもスペキュラティブデザインやクリティカルデザインというのはざっくりいうと「デザイン」という概念の立場を次のレベルへ導くきっかけとなった考え方で、現在のおおよそのデザインにいえる商業的であったり表面的な問題解決を謳ったデザインではなく、人々に対し批判や疑問をぶつけることで議論を呼び起こし、問題を発見しそこから起こりうる未来を示してあげることで、その未来の世界における社会性や倫理、そして文化や空間などを複合的に捉え現実へと落とし込む作業や表現」のことをいいます。言い換えるとある意味それは「機能性のあるフィクショナルな表現」と言え、デザインの「不断に変化し続ける思想」という本来の姿を取り戻すきっかけになっています。ざっくりと言いつつ長くなり申し訳ないのですが、まだ成熟すらしていない可能性無限大のこの領域の次のステップに行く旅は果てしなく、デザインやアートの勉強とは別のなにか専門性のある学問に着手しなければと本能的に思い、前から興味があった植物学を選ぶことになりました。それは当てずっぽうに選んだ訳ではなくそれなりの確信と理由が私にはあるのです。

 

ブログのタイトルに使っているADAPTATION という言葉は「適応」という意味があり、私の中での一つの大きなテーマになっています。それは過去に作品を制作していた時にたどり着いたテーマで、「人間は様々な問題に対して拒絶をすることで生き延びてきた。本質的な適応は一切してきていない」という仮説を立てた所から始まりました。人以前に動物というものはその身体を用いての移動もしくは周りの空間を変化させることで危険や食料を回避、確保してきました。人間がより遠くの宇宙を目指したり、遠い距離をより早く移動しようと躍起になる理由は移動や拒絶を手段として生き延びてきた動物の進化として当然の結果と言えるでしょう。一方、植物は移動という手段ではなく動かず、環境を知り、適応することで危険を乗り越え、移動せずとも享受できるエネルギーを使うことで生き延びてきました。地球上に存在する多細胞生物の総重量(バイオマス)の99.5%が植物という数字を見てもその生命力と適応の効果は分かると思います。もし私が地球外生命体で地球を侵略しようと考えるなら人間など眼中の範囲外で、植物や微生物に交信を試みるでしょう。さて、拒絶を繰り返し繁栄してきた人間といえば、地球上において変化する環境や問題から回避する空間を失いつつあります。その結果として未来にこのまま一つの種として滅ぶ可能性も視野に入ってきていますが、私個人としてはそこになんの抵抗もありません。ただ、人間として生まれ生きているからには種として人間の為に何か活動をしなければならないので、人間が拒絶や回避をしてきた事象に対して適応する道を選んでいたら人間はどうなるのかを考える事にしました。そこで適応においてのスペシャリストである植物の知恵を借りようと、様々な文献を読み漁っている訳ですが、調べれば調べるほど適応の難しさとや可能性、そして素晴らしさに魅了されます。適応の末に植物が得た造形は機能性に特化した最低限の造形で美しく無駄がありません。そんな造形やデザインを人生で一度でいいからしてみたいと願うばかりです。

つまりADAPTATION DESIGNというのは人間が次のステップにいく可能性を含んだ概念であると同時に、人間が人間でなくなる可能性のある内容としてはとても危険に溢れた考え方なのです。が、そんなに思い詰めず気楽に進めていければと思います。

 

 

 

他のMonologueはこちらです。

adaptation-design.hatenablog.com

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