ADAPTATION DESIGN

僕の提唱する「ADAPTATION DESIGN」に肉付けするための教養のブログ。という趣味を全面的に肯定するために始めたただの暇つぶし

Column: ART's plants「Claude Monet」

No.30 アートにみる植物です。今回はセザンヌやルノワールに肩を並べる印象派の巨匠である「Claude Monet(クロード・モネ)」です。その中でも晩年に200点以上も残した「睡蓮」をモチーフとした作品について睡蓮と仏教を関連付けて言及していきます。

 

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植物の和名「睡蓮」は学名「Nymphaea」の英名「Water lily」のスイレン科スイレン属に属する水生の多年草です。和名の睡蓮は3日だけ咲く花が日中の間に開き、午後になると閉じる様子から「睡眠する蓮」に由来しています。また、学名のNymphaeaはギリシャ神話の神Nymphe(ニンフ)から来ています。ニンフは他の女神とは違い、自然を生み出す神の霊とみなされ、通常は踊りと歌を愛する若い裸の乙女として描かれています。基本的に熱帯地域から亜熱帯地域に自生する水位が安定している池などに生息しており、地下茎から長い茎を伸ばし、水面に葉や花を浮かべる浮葉植物となります。葉は円形でその一部に切り込みが入っており、葉の表側に気孔があり蓮とは違い防水加工はされておらず、普通は緑色で濃赤紫の斑点が入ったり、濃赤紫色の葉だったりと様々な種類があります。また睡蓮は大きく分けると温帯性睡蓮と熱帯性睡蓮の2種類あり、それぞれ大きく特徴が異なります。「温帯性睡蓮」は寒さに強く、丈夫で育てやすいため、水面が凍る程度の寒さであれば、越冬も可能です。日本で見かけることができる睡蓮のほとんどが温帯性で、4月から10月と開花時期が長く、主に赤、黄、ピンク、白など薄く淡い色の花を咲かせる品種が多いのが特徴です。逆に、「熱帯性睡蓮」は寒さに弱く、水温25度以上でないと生息することができません。また、水温が15度を下回ると花をつけなくなり、室内でないと越冬することができません。主に熱帯アフリカや南米、熱帯アジアで生息されており、7月から10月と開花時期は短く、主に白、赤、ピンク、青、紫といった色彩が鮮やかなものが多いのが特徴になります。

 

 

モネが睡蓮の絵を描き始めたのは1890年にパリ郊外のセーヌ川支流に位置するジヴェルニー村に土地を購入し「花の庭」を作り、1893年にその隣の敷地を購入して「水の庭」と呼ばれる日本風の睡蓮が咲く池を作った50歳頃からだといわれています。そんなモネの池の睡蓮はフランス北部にあったことや、モネの絵の花の色から推測すると「温帯性睡蓮」であったことが分かります。モネは印象派が理想とした外で絵を描き続けることを実践し続けた画家で、変化し続ける光とその雰囲気を描こうとしていました。あざやかな色彩を用い、筆の断続的なタッチにより画面全体の視覚的効果を狙っていて、それはモネの描く睡蓮が近くで見ると睡蓮そのものが写実的に描かれておらず、絵画から離れ全体を眺めた時に初めて睡蓮とわかる事から伝わります。彼の絵には朝から夕方まで刻々と変化し続ける庭の光の様子や池の水面を睡蓮が漂う様子を単に記録するだけではなく、彼の記憶と感情も深く投影してあり、睡蓮の花に見る生と死をも捉えていたのだと思います。ではモネはなぜ元々ヨーロッパに存在しなかった睡蓮をモチーフに取り憑かれたように描き続けたのでしょうか。それにはモネの生きた時代と影響を受けた日本文化に関係があるのではないかと私は考えています。

 

モネが「睡蓮」を大装飾画として描き始めた頃は第一次世界大戦の真っ只中で、モネは避難していましたがフランスでは350人以上のアーティストが殺され、140万人以上戦死者に400万人に及ぶ負傷者を出しました。同時期にモネは白内障に悩まされており、その失われゆく色彩と戦争で受けた心の傷を晩年作品に投影しており、精力的に制作し続けることで戦争に対する抗議をしていたのではないかと言われています。1918年の休戦協定後にフランスに19枚の絵を寄贈するのですが、それらは戦争で傷ついた民衆の心を癒しました。またモネはジャポニズムの影響を多大に受けた作家でもあり、睡蓮に対し仏教の教えをみたのではないかとも言われています。インドヒンドゥー教では蓮が水中の泥にまみれることなく美しい花を咲かせる様子から、水中を汚れた現世、花を浄土として例え、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴として扱われています。一方、古代エジプトでは自生していた青い睡蓮が夕刻になると花を閉じて水底に沈み、翌朝になると水面に浮かんで花を開く様子から「復活・再生」の象徴として捉えられ、墓や神殿にその模様を描いていました。これらの宗教の考え方はアーリア人がエジプトを征服したのちにインドへ向かった際に統合されたと推測されています。その後仏教としてこれらの教えが日本へ伝わることになります。日本においても蓮は重要な役割があり、それは「蓮華」として存在し、お釈迦様は蓮華の上で悟りを開いたとされ、お経の「南無妙法蓮華経」は教えを信じ自分が大宇宙の中の一点であることを宣言し、宇宙の流れや力を自分の肉体に呼び戻す回帰や覚醒の修行として使われることがあり、どこにでも希望を見出せるようなそんな心を想起させます。実際、モネの友人であるGustave Geffroy(ギュスターヴ・ジェフロワ)はモネの伝記に「He discovered and demonstrated that everything is everywhere, and that after having wandered the world worshiping the light that enlightened him, he knew that this light was reflected with all its splendor and mysteries in the magic hollow surrounded by foliage of Saides and bamboos, flowers of irises and rosebushes, through the mirror of the water from which spring the strange flowers which seem more silent and more hermetic than all the other flowers.」と書いており、モネがインド仏教から伝わる「無常観」に関心を抱いていたことの一つの証明になり、自然の微妙な変化と現実の普遍性に対し向き合うモネの姿勢は仏教思想と一致するものがあります。ここでいう無常観とは現世の「苦」からの脱却を図るために「事実」と「思い」との間に食い違いを起こさないことを説いており、「刻一刻と年を重ね、やがて死ぬ」という「事実」に対し向き合うことで人々を「苦」から解放するというものです。オランジュリー美術館にモネが「睡蓮」を寄贈した際に「この部屋は、ここで過ごすものにとって、花咲く水槽の真ん中で、安らかな瞑想を行うための隠れ家になるであろう。」と書き記していることから分かるように、晩年の「睡蓮」に描かれたぼんやりと水面に浮かぶ睡蓮の花には、戦争で傷ついた自分自身の心と人々の心を映し出す鏡の役割があり、花の「生と死」に無常観を投影することで人々を心の浄化へと導こうとしたのではないでしょうか。きっとモネは戦争から立ち直ろうとする人々と泥の中でも美しく咲く睡蓮の花を重ね合わせ平和を祈ったのでしょう。

 

 

 

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