ADAPTATION DESIGN

東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

「Euphorbia mammillaris」

No.54 神々しい姿のユーフォルビアです。

 

「Euphorbia mammillaris」ユーフォルビア マミラリスです。和名は「白樺麒麟」や「ミルクトロン」といいます。

 

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Euphorbiaはトウダイクサ科トウダイクサ属の植物です。学名Euphorbiaはギリシャ人医者のEuphorbosに由来しており、Carl von Linné(1707-1778)によって名づけられました。世界中の熱帯から温帯に広く分布し約2000種からなる巨大な属であります。ユーフォルビア属の仲間は毒性のある白い液体を有しており、薬用で使用されていたこともあります。

 

Euphorbia mammillarisの種小名mammillarisはラテン語で「乳頭のある」から由来しています。南アフリカ原産で、白樺の名の通り全体的に白く冬にはピンク色に紅葉します。棘が生えている為、白いサボテンよ間違われることがありますが、サボテンとユーフォルビアは全くの別物で、サボテンが葉を棘に変化させたのに対して、ユーフォルビアは側枝や托葉部分が棘に変化しました。見分け方としては、サボテンの棘の付け根には白い綿に覆われた刺座があります。

 

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緑から白のグラデーションがとてもきれいで購入しました。日光を好み、強い直射日光には弱い種類です。高温や低温にも弱いため、温度管理が必要になります。基本的には頑丈なので一か月水をあげなくても耐えられます。冬になるとピンク色に変わるというのでこれからが楽しみです。

Portfolio 001

No.53 私が過去に作った作品紹介です。今回は大学を卒業する際に作った卒業制作を記事にします。

 

私の卒業制作はデザインをすることについて考えることから始まった。大学にはモノをデザインできる人になる為に入った訳だが、多くのモノに触れてきて、このモノの溢れる世界に私が新たにデザインすることの意味やその責任を負うことについて考えるようになった途端に、身の周りにあるデザインの希薄さやデザイナーの無責任さにばっかり目がいくようになっていた。産業革命と同時に発生したデザインという概念は160年という短い間に人々の生活を豊かにし、文化として多様化の道を歩んだ。しかし、近年のデザインの中心にある考え方はとても商業的で、人々の購買欲を煽るものやヴィジュアルが主な役割で、大河のように次々と生み出され、流されてゆくデザインは経済的な成果をあげることを目的とした成功例の模倣を繰り返すだけの存在になっており、問題解決と称されるデザインは果たしてその役割を果たしてきたのだろうか?決してデザインはポピュリズム的で表層的なものではなく、その思想や概念が本質であり、不断に変化し続けなければならないと考える。生活が豊かな私たちに必要なことは目先の流行から生まれる新しいモノではなく、これから私たちが生きていく上で本当に見つめなければいけない未来に通じる新しい思想や概念なのだ。これはAnthony Dunneが発表したスペキュラティブデザインにすごく近い。問題を解決するのではなく問題を提起する。文化の成熟した私たちにこれから必要なのはモノではなく哲学だ。今回、2つの制作物を提出した。それぞれ一つのテーマを元に近未来と遠い未来を想定し、その時代に存在するものを作り出すことで今ある問題を洗い出そうとした。

 

 

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 一つ目は「Stand by me」というタイトルで、限りなく遠い未来を想定したものだ。止めどなく生産されるモノによって排出されるダイオキシンや追いつかないゴミ処理の問題から生まれた病原菌によって感染症がパンデミックし人類が大幅に減少した世界Xにおけるデザインや価値について考察した。現代では多様化による選択肢の多さこそが人に自由を与え、幸福にすると信じられている。しかし、選択をするたびに無意識の喪失感に襲われ続けていることを知っているだろうか?何かを選択するということは、裏を返せば選択しなかった何かを失うことと同義なのである。世界Xにおいてモノを創造や廃棄することに対して恐怖を抱いており、その無意識の喪失感でさえ嫌悪するようになった。その感情に抗う手段として「再生」に対して価値を見出すようになっていった。その昔、西洋で石に永遠を感じ、東洋が木の朽ちてく姿にはかなさを価値として捉えていたように、その世界においてモノの廃棄や創造に対する価値は薄く、「再生」に価値を置いている。それは今までモノを廃棄することにためらいの無かった人が唯一捨てることのなかったモノの中に肉体があるからだろう。それは再生を繰り返すことで人に所有され続けてきた。この世界Xの彼らは新しく生まれる新生児に同じDNAを使用し作られる椅子が与える。それは所有者のの身体的特徴を引き継ぎながら成長をしてゆく。よく使い触る部分の皮膚は硬くなり、体重がかかる部分は太く大きなものに育つ。そして、傷ついた場所にはかさぶたができ、数日できれいに治る。これはモノを粗末に扱ってきた人間の贖罪であり、戒めである。私はこの椅子を「肉(chair)」と名付け、写真を媒体として作品にした。「chair」は英語で椅子、フランス語では肉体という意味があり、哲学において私たちが捉えることのできるパースペクティブ的で一面的な表面の「見えるもの」に対して、認識していても視覚として捉えることのできない裏側に存在する「見えるものの見えないもの」をモノの奥行とし、そこに存在する本質的な部分を肉(chair)と呼ぶ。つまり、モノの形態ではなくそのモノの時間や経験までも内包した「見えるものの見えないもの」を知ろうとすることが大切なのであり、現代に蔓延る問題に考えを巡らせるところにこの作品の本質がある。今回、写真を表現の媒体として選んだのにも理由がある。この2枚の写真は2人の女性を多視点から捉えコラージュしたものである。それは人が一度に見ることのない肉体の集合で、手法としてはキュビズムを用いている。しかし、ピカソやブラックのように対象の極端な単純化は行わず、その境界をあいまいにすることで残るリアルな身体的特徴によって生まれるリアリズムを優先した。

 

 

 

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2つ目は「One’s interior virtue」という作品である。「隠された許容」という意味で、これは限りなく近い未来を想定したものだ。私たちは当たり前のようにいるモノといらないモノを選別する。その許容と拒絶を分ける基準はあいまいで不透明だ。なぜ、ここまで人は簡単にモノを捨てることができ、抵抗を感じないのだろうか?それはマクロな単位でしか語られることのない問題に、人々が安心しているからだ。このぬるま湯に浸かりきった現代人に響くものはもっと本質的で無意識な部分の問題なのだ。今回、「無意識の拒絶」をテーマに、人間の髪の毛を使用した作品を制作した。人は伸び続ける髪の毛に「生」を感じているが、その存在は時にして畏怖の対象になり得る。毎日洗い、整える人の印象を左右する髪の毛ですら、切られて床に落ちていった瞬間に嫌悪感のあるモノへと変化し価値観が変わる。人は肉体から離れた身体を極端に嫌う。それは切れて落ちていった髪の毛に「死」を見るからで、これを「無意識な拒絶」とするなら、人がモノを捨てる動機はここに由来しているのではないだろうか?人は役割を終えたモノに少しでも「死」を感じているのかもしれない。私は今回、この死生観や価値観の短絡的な変化に注目した。もし、一度拒絶されたモノを再構築することで人の中に新しい価値が生まれるのであれば、そこには人とモノの間に新たな関係性が生まれるのではないだろうか。とするなら、それは立派な隠された許容と言えるだろう。そして私はこの「無意識の拒絶」がこれから新たな文化を築く上でとても大切な感覚であると考える。現代人は五感の退化と引き換えに様々な文化を獲得してきた。もし、その五感の機能を失っていった時、それに代わる新たなツールが必要になる。今まで無意識に拒絶してきたことを明らかにすることで、デザインや文化は新たな領域を見つけることができるのではないのだろうか。

 

 

他のPortfolioはこちらです。

adaptation-design.hatenablog.com

 

Creation 004

No.52 鉢植えを作りました。ADAPTATION DESIGNの鉢植えを国産ヒノキの合板で作ってみました。作りはすごく単純ですが合板に浸透性のクリアラッカーを何度も染み込ませる事で表面に光沢を持たせました。この方法は店舗の什器などで良く使用されますが、自分でやったのは初めてなので上手くいった時はすごく嬉しかったです。販売も視野に入れながら大きさや形をこれから少しずつ練っていきたいと思います。

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杉の合板でも作りました、ビカクシダ ビフルツカムと合わせて使っています。

 

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こんな物を作って欲しいなどありましたらいつでもコメントして下さいー。

 

その他のCreationはこちらです。

adaptation-design.hatenablog.com

「Cissus tuberosa」

No.51 ブドウ科の蔓が特徴的な塊根植物です。

 

「Cissus tuberosa」シッサス ツベローサです。以前はCissus mexicanaという名前で呼ばれていました。

 

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Cissusはブドウ科セイシカズラ属の常緑性多年生のつる性植物で熱帯から温帯地域に生息していて約300種が見つかっています。Cissusはギリシャ語で「蔦」という意味があります。葉は互生し単葉または複葉で、茎がつる性のものと多肉質になるものがあります。

 

Cissus tuberosaの種小名tuberosaはラテン語の「塊根」から由来していて、その名の通り茎が太く成長することが特徴です。別名のCissus mexicanaからも分かるようにメキシコが原産で主に標高1500mの乾燥地帯にある岩場に生息しています。塊根部は灰色か緑色で20〜30cmにまで成長し、塊根伸びる茎は蔓状で葉はブドウに似た切れ込みが大きく入ったギザギザな葉を展開します。

 

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生命力が凄く、その蔦は夏の時期になると伸び続けるようなので来年が楽しみです。葉も大きく、青々しているのでこれから観察するのが楽しみです。

 

Cultivation:「GARLIC 002」

No.49 先日植えたホームタマネギが萌芽を出しました。前回の記事はこちらです。

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毎日観察していたのですが、気が付いたら50㎜くらいまで成長していて驚きました。前回の記事でタマネギは温度や光によってその成長の仕方を変えると書きましたが、このタマネギの芽の先に温度と光を感じる機能があり、土の中から顔を出すことで周りの様子を探っています。その姿は潜水艦のペリスコープのようですごく可愛いです。

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ここから根の張りをよくするために追肥を一度行いたいと思います。初めての家庭菜園に加え室内栽培なので手探りですが、失敗も含め頑張っていきたいと思います。

「Tillandsia stricta」

No.48 同じ種類の中でも特に細かい分類分けが多くありその見分け方が難しい種類のエアプランツです。

 

「Tillandsia stricta」チランジア ストリクタです。またの名をCotton Candyとも言います。

 

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Tillandsiaはパイナップル科の中の属名です。スウェーデンの植物学者Elias Tillandz(1640-1693)から由来しています。多年草で着生植物であることの多い植物です。葉の表面を覆う「Trichome(トリコーム)」といった空気中の水分を取り込むための独特の器官があります。trichomeはギリシャ語で「髪」という意味があります。

 

Tillandsia strictaの種小名strictaはラテン語の「strictus(直立)」から由来しており、それはこの植物の形態を表したものです。非常に種類のバリエーションが多く、葉も堅いものから柔らかいものまであり薄くトリコームが全体を覆っています。花は春~夏にかけて青、紫、黄色、ピンクの花を展開します。原産地はトリニダード・トバゴやベネズエラなどの南米で気候や環境に関わらず生育することができます。

 

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Cotton CandyはMark Dimmit氏がTillandsia strictaとTillandsia recurvifoliaを交配したことで生まれました。この組み合わせのことをTillandsia Houstonと呼ぶこともあります。花序が球状で花弁はブラクトが薄いピンクに薄く水色がかったものを付けます。

 

 

他のエアプランツの記事はこちらです。

adaptation-design.hatenablog.com

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Introduction:「予備校編 001」

No.45 前回の記事はこちらです。先に読むのがおすすめです。

 

adaptation-design.hatenablog.com

 

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そんなこんなあって得意なこともなければ、不得意なこともない器用貧乏ど真ん中な人間に成長した私は、進学校にイマイチなりきれない高校に入学し理系を選択するも、やりたいこともはっきりしないまま大学受験にぬるっと失敗し、滑り止めで受けていた大学に入ることになる。そこは滑り止めなだけあってレベルが低く、大学生の独特なノリについていけなかった私は、友達を1人も作らないまま通学を辞め、親にデザインの専門学校に行きたいというなんとも親不孝な宣言をする。

 

やりたいことがあるなら、と寛大な親はそれを許してくれたことで晴れて再受験が叶うのだが、その専門学校に入るには絵のスキルが必要なため美術予備校に通うことになる。もともと小学校、中学校、高校とそれなりにクラスの中で絵が上手いキャラクターだった私は少しやれば受かると思っていたのだが、夏期講習に体験で乗り込んだ私はそこで絶望を味わうことをになることをまだ知らない…。予備校に入る上で先生と面談があり、私が専門学校を受けたいと言うと「美大に入りなよ」と言われる。ただ、それまで美大なんて言葉は東京藝術大学しか知らない私は「まぁ予備校の先生が勧めるならそこに入る方がいいのだろう」と無知を露呈しまくりな判断を下し、武蔵美と多摩美なる大学を受験する決意をする。

 

美術予備校というところを知っているだろうか?私が通っていた所は東京ではかなり大手で、美大受験する人で知らない人はいないようなところだった。受験生はだいたい1年以上通うことが普通で、なまじ半年のそれも夏休み終わりに入塾するやつなんかいない環境だった。それまで漫画の模写が上手いと褒められ喜んでいた程度の私は、最初のデッサンで漫画のような絵を描き失笑を喰らうわけなのだが、始めのうちはそれのなにが悪くて、周りと自分の絵のなにが違うのか分からなかった。与えられてた1つのモチーフに対し、鉛筆を使ったデッサンや絵の具を使った平面構成を6時間ほどかけて描くのだが、そんな時間をかけて絵を描いたこともなければ、使ったことのない道具もあり、かなり戸惑っていた。

 

6時間が経ち絵を描き終わると「講評」という先生のありがたいお言葉を聞く時間があり、クラスにいる生徒は作品を前に提出し、それをみんなが見ている前で先生が並べ変えていくという公開処刑が待っている。左上が一番評価される人でかなり上手いのであまり悪いことを言われない、たいてい一浪や高2くらいから予備校通いのエリート達の中の2人がその席を陣取っている。そして右下が一番へたくそな人が来るのだが、案の定というか当たり前のように私が鎮座している。基本的なことが出来ていないから言われることはいつも同じだった。しばらくの間は漫画絵から抜けず苦しんでおり、絵の中のパースや光の感じはなんとなく理解はしているのだが、その差を詰めることは出来ていなかった。

 

平面構成やデッサンの説明、そこから順位を上げ、なんで美大に受かったのか、その辺の話はまた今度。

 

次のイントロダクションはこちら

 

 

adaptation-design.hatenablog.com