ADAPTATION DESIGN

東京藝術大学の大学院生と武蔵野美術大学の教務補助の二足の草鞋を履く男のブログ

Introduction:「予備校編 001」

No.45 前回の記事はこちらです。先に読むのがおすすめです。

 

adaptation-design.hatenablog.com

 

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そんなこんなあって得意なこともなければ、不得意なこともない器用貧乏ど真ん中な人間に成長した私は、進学校にイマイチなりきれない高校に入学し理系を選択するも、やりたいこともはっきりしないまま大学受験にぬるっと失敗し、滑り止めで受けていた大学に入ることになる。そこは滑り止めなだけあってレベルが低く、大学生の独特なノリについていけなかった私は、友達を1人も作らないまま通学を辞め、親にデザインの専門学校に行きたいというなんとも親不孝な宣言をする。

 

やりたいことがあるなら、と寛大な親はそれを許してくれたことで晴れて再受験が叶うのだが、その専門学校に入るには絵のスキルが必要なため美術予備校に通うことになる。もともと小学校、中学校、高校とそれなりにクラスの中で絵が上手いキャラクターだった私は少しやれば受かると思っていたのだが、夏期講習に体験で乗り込んだ私はそこで絶望を味わうことをになることをまだ知らない…。予備校に入る上で先生と面談があり、私が専門学校を受けたいと言うと「美大に入りなよ」と言われる。ただ、それまで美大なんて言葉は東京藝術大学しか知らない私は「まぁ予備校の先生が勧めるならそこに入る方がいいのだろう」と無知を露呈しまくりな判断を下し、武蔵美と多摩美なる大学を受験する決意をする。

 

美術予備校というところを知っているだろうか?私が通っていた所は東京ではかなり大手で、美大受験する人で知らない人はいないようなところだった。受験生はだいたい1年以上通うことが普通で、なまじ半年のそれも夏休み終わりに入塾するやつなんかいない環境だった。それまで漫画の模写が上手いと褒められ喜んでいた程度の私は、最初のデッサンで漫画のような絵を描き失笑を喰らうわけなのだが、始めのうちはそれのなにが悪くて、周りと自分の絵のなにが違うのか分からなかった。与えられてた1つのモチーフに対し、鉛筆を使ったデッサンや絵の具を使った平面構成を6時間ほどかけて描くのだが、そんな時間をかけて絵を描いたこともなければ、使ったことのない道具もあり、かなり戸惑っていた。

 

6時間が経ち絵を描き終わると「講評」という先生のありがたいお言葉を聞く時間があり、クラスにいる生徒は作品を前に提出し、それをみんなが見ている前で先生が並べ変えていくという公開処刑が待っている。左上が一番評価される人でかなり上手いのであまり悪いことを言われない、たいてい一浪や高2くらいから予備校通いのエリート達の中の2人がその席を陣取っている。そして右下が一番へたくそな人が来るのだが、案の定というか当たり前のように私が鎮座している。基本的なことが出来ていないから言われることはいつも同じだった。しばらくの間は漫画絵から抜けず苦しんでおり、絵の中のパースや光の感じはなんとなく理解はしているのだが、その差を詰めることは出来ていなかった。

 

平面構成やデッサンの説明、そこから順位を上げ、なんで美大に受かったのか、その辺の話はまた今度。

 

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